
夜明け前に目が覚めて、朝風呂を浴びていたら日の出。
客室のガラス戸を開けて写真を撮ろうとしたらカモメに邪魔されまくって、必ず1羽以上入り込んでくるしっ。
カモメ以外にもカラスやら知らない鳥やら集まってきていて気が付いたら鳥寄せ状態(笑)
朝食は広間でバイキング。地の物を使った料理が並び、どれも美味しくて欲張ったらお腹いっぱい。特に生わかめのしゃぶしゃぶと鮭ハラスの南蛮漬け、サンマの甘露煮が美味だった。
荷造りしてチェックアウトした後、荷物を預かってもらってホテル主催の企画に参加。

南三陸町でも一番酷い津波被害を受けた地区を、被災したホテルの社員さん達が自ら案内してくれるというもの。
今日の語り部は若い女性で、震災当時新入社員でホテルで働いていて被災、家族は無事だったが自宅が津波に流され現在も仮設住宅に住んでいるという。
海の際(きわ)にあるホテルを出るとすぐに壊れたままの防波堤や根こそぎ流されてきてそのままの木、傾いた家、元は家やビルが建っていた更地や土盛り、海水をかぶって塩害で乳白色に立ち枯れた草木が広がっているのが見えた。
間もなく震災から3年目を迎える町はまだまだ復興したというには遠く、語り部役の社員さんがさらりさらりと当時の状況を説明出来るようになるまでのことを考えただけで涙が出そうになった。
ところが、だ。
今日はこの企画にTV局の取材が入っており、しかもバス内では私の隣の空いていた席にTVクルーのお兄さんが座ってきてこちらにすまなさそうに気を使うから逆に泣けやしない(苦笑)

復興の兆しすら見えない地区から高台へ移転している途中の新しい町の中を通り抜け、最後に報道で有名になった南三陸町防災対策庁舎で下車。
グニャリと飴みたいに曲がった側面の鉄骨や外階段の手すりが、周囲に荒れたままの空き地が広がっていることが、津波の凄まじさを物語っていて写真やTVで見るより遥かに雄弁で衝撃的な光景。
空が真っ青で。
冷たい風に細かい雪が疎らに舞って。
言葉も無くただ祈るしか出来ない。
「携帯電話は被災地内より県外への方が早く通じるようになったので、家族の安否を知る為には県外の共通の知人を介して連絡が取れるようにしておくといいと思います」
語り部さんの締めの言葉が耳に残っている。
頑張って、とは頑張っている人達には云ってはいけないのだろうけれども、何を云ったらいいのか分からない私達、観光客へ「拙い話を聞いてくださってありがとうございます」と云ってくれた強さが印象的だった。
震災直後、行ったことのある場所の悲惨な様子を報道で見て軽くPTSDになりかけたが、実際はもっともっと酷かっただろうから。大して被害が出なかった土地に住みながらPTSDになんかなっている場合じゃないと、身を持って感じた。
今回来て良かった。
PR