12月5日の日記。
朝一番の『勘三郎死去』のニュースに驚いて、しょげかえったまま一日過ごす。
中村勘三郎は勘九郎時代から歌舞伎界では一番好きな役者で、ここまで歌舞伎にハマったのはこの人のおかげと云っても過言ではない。
芝居が好きで好きで堪らないのが伝わってくる演技、もういい歳のオジサンなのにお茶目で、舌っ足らずな台詞回しと動きに愛嬌があり、人に好かれる天賦の才を与えられた生まれながらの役者ながら、客を楽しませる努力を惜しまない。初めて歌舞伎を観て惹かれてから八月歌舞伎、コクーン歌舞伎、平成中村座、旧歌舞伎での勘三郎襲名披露、その他の公演を可能な限り追ってきた。地方巡業にも行ったし、歌舞伎以外の舞台も観てきた。
昨年体調を崩して休業した時発表された病名が突発性難聴だとかで、働き過ぎかな?と心配していたら、復活早々に年末から今年5月までの平成中村座ロングラン公演を発表。
これは観に行っとかないと!と早速中村座1ヶ月目の11月に観に行ったら随分と痩せていて、顔色も良くなく声も弱くて余計心配になった。その後徐々に調子を取り戻してきたように見えたが、最終の五月公演の本来最終日だった翌日の追加公演で、相撲甚句を皮きりに現め組の頭や関係者が勢揃いして三社祭の神輿(公演期間中の三社祭で実際使われた本物)まで出てきたのを初孫を抱き上げて目を細めて見守る勘三郎の姿に、嬉しいハズなのに悲しい予感がしたの確か。しかもあの日あの時突然雷鳴響き激しい雨が降り出して、帰りには雷も雨も止んでいたのもその後の波乱を暗示させる演出のようだった。。なんて、今となっては思う。
悪い予感の最初の予兆は長男勘太郎の勘九郎襲名を仮芝居小屋の平成中村座でやると聞いた時。絶対話題になるし人が呼べる興行を何故来春には御披露目になる新歌舞伎座でやらないのか?多分そう思った歌舞伎好きは他にも居るはず。
平成中村座終了後まもなくの再度の体調不良による休業と、発表される度に心配になる病名・病状。食道ガンで手術した後で肺の疾患が見つかった。。まで聞いたら医療関係者としては最悪の事態しか浮かばない。よしんば最悪は回避出来ても再び舞台に立つことが出来る可能性は低いと予測出来る。勘三郎関係のニュースが途切れ、業界関係から流れてくるのは悪い情報ばかりで心底心配していたらいきなりの死亡報道。。
しかも早朝に亡くなってその朝のニュースに出るって早過ぎる。
死亡病名から考えるに急変なのだろうけれど心の準備無く知ったからショックは隠せず。瞼を腫らしたまま出勤、職場のテレビで元気な映像を見る度しんみり。
57歳は歌舞伎界ではまだまだこれからという歳。。。
もっともっと芝居を見せて欲しかった。歌舞伎も含め新しいことを始めて、楽しませて欲しかった。歳を取ったら「勘三郎の襲名披露に3ヶ月間、昔の歌舞伎座に通ったのよ~!」って若いファンに自慢しようと思っていたのに。。
そんなちょっぴり本気だった冗談はさて置き。
今年五月の追加公演を観ておいて良かったな。あれは後から発表になって、他の日のチケットを先行で取っていたから迷ったが、チケットサイトを覗いたら最後の一席が残っていたから、後悔したくない!と取って正解だった。
しばらくはニュース見る度めそめそしてしまいそうだけど、湿っぽいのが嫌いだったから笑って追悼してあげなきゃだめだね。
歌舞伎の面白さを教えてくれてありがとうございます。本当に大好きでした、勘三郎丈。。
黙祷。
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